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福島地方裁判所 昭和32年(ワ)170号 判決 1960年3月16日

原告 岡野素禅 外二名

被告 福島電気鉄道株式会社

主文

一、被告は原告素禅に対し金一〇〇万三三一五円及び内金六八万四三一五円に対する昭和三二年一〇月一二日から、内金三一万九〇〇〇円に対する昭和三四年九月六日からそれぞれ完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二、被告は原告弥生に対し、金三〇万四二〇〇円及びこれに対する昭和三二年一〇月一二日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

三、被告は原告志津に対し金二八万二四〇四円及び内金一〇万四二〇〇円に対する昭和三二年一〇月一二日から、内金七万八二〇四円に対する昭和三四年九月一日からそれぞれ完済まで年五分の割合による金員を支払え。

四、原告等のその余の請求を棄却する。

五、訴訟費用は被告の負担とする。

六、この判決は原告素禅において金二〇万円、原告弥生において金六万円、原告志津において金五万円の担保を供するときは、それぞれ勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

原告等は「一、被告は原告素禅に対し金一三七万一三一五円及び内金七〇万九三一五円に対する昭和三二年一〇月一二日から完済まで内金六六万二〇〇〇円に対する昭和三四年九月六日から完済までそれぞれ年五分の割合による金員を支払え。二、被告は原告弥生に対し金三七万四二〇〇円及び内金三〇万四二〇〇円に対する昭和三二年一〇月一二日から完済まで、内金七万円に対する昭和三四年九月六日から完済までそれぞれ年五分の割合による金員を支払え。三、被告は原告志津に対し金三八万二四〇四円及び内金三〇万四二〇〇円に対する昭和三二年一〇月一二日から完済まで、内金七万八二〇四円に対する昭和三四年九月一日から完済までそれぞれ年五分の割合による金員を支払え。四、訴訟費用は被告の負担とする。」との判決及び担保を条件とする仮執行の宣言を求め、請求原因として次のとおり述べた。

第一、(本件事故の概要)

被告は電車及び乗合自動車による運送を業とする株式会社であるが、昭和三一年一〇月四日行われた二本松町(現在市)提灯祭の見物人の運送のため同月五日午前四時三〇分頃二本松町発松川町行の臨時バスを運行した。原告等三名は他の見物人と共に右バスに乗車して帰途についたが、右バスの運転手斎藤守は飲酒酩酊により無謀な運転をしたため、右バスは同日午前四時三五分頃福島県安達郡安達村渋川地内において国道左側の低地に転落し、機転後仰転し、原告等はこのためそれぞれ後記のとおり傷害を受けた。右事故は全く被告の被傭者である前記斎藤の過失にもとずくものであるから、被告は右事故によつて原告等の蒙つた損害を賠償する義務を負うものである。

第二、(原告素禅の損害)

一、原告素禅は右事故により首及び左手足の運動の自由を失い、左半身に劇痛を覚え、頭痛、吐気、めまいを感ずるに至つたところ、同年一〇月五日から同月二六日まで福島市大町の大原綜合病院に入院し、同日から同年一一月一日まで信夫郡飯坂町天王寺温泉に滞在し、同月一一日から同年一二月一六日まで福島市早稲町の渡辺整形外科医院に入院し、昭和三二年五月一六日から二一日まで及び同年七月八日から同月九日まで福島市土湯温泉に滞在して専ら治療、静養に努めたが、右症状は一進一退し一時一日約一時間の軽労働が可能となつた程度で一向好転しなかつた。ところで原告素禅は同年七月九日、恩師石龍文堂氏の葬儀参列のため、やむなく仙台市に赴いたところ、その夜から病状悪化し、以来左半身知覚異常、左側頭痛、第三頸椎左側部の凝り、耳鳴り、めまい等の症状が続き、夜間の睡眠を充分に得られず、一日一時間の軽労働さえ不可能な状態である。

二、原告素禅は右事故により次のような出費(合計金一万三三一五円)を余儀なくされた(被告より既に支払われたものを除く。)。

(1)  前記渡辺医院の往復に要した自動車代金一〇〇〇円。

(2)  前記飯坂町天王寺温泉滞在費金五五〇〇円、前記土湯温泉滞在費金三八〇五円。

(3)  本件事故によつて故障した時計修理代金六〇〇円(福島市大町斎藤時計店に支払。)。

(4)  本件事故により汚損したコート、ズボン洗濯代金六〇〇円。

(5)  薬品代金一八一〇円(松川町字本町旭薬局に支払。)。

三、原告素禅は大正七年七月三日松川町盛林寺前住職岡野栄隆の長男として出生し、昭和一一年福島県立福島中学校を卒業し、その後福島地方裁判所書記、満洲帝国治安部指紋管理局委任官、伊達郡飯野町立飯野小学校教諭等を歴任し、本件事故当時は右盛林寺において父栄隆の寺務を補佐する傍ら天心保育園々長として右保育園を経営し、(1) 托鉢により一月平均金四〇〇〇円、(2) 右保育園の経営により一月金三万円の収入を得ていた。また、原告素禅は尺八及び書道に造詣深く、昭和一五年都山流尺八の奥伝免許を受け、屡々コンクールにおいて受賞し、尺八に関する著書を著し、尺八の新製作方法を発明した程であつたので、本件事故当時(3) 書道教授により一月金二〇〇〇円、(4) 尺八の出張教授により一月金三〇〇〇円、(5) 尺八の演奏会出演により一月平均金二〇〇〇円の収入を挙げていたほか、当時尺八の通信教授を計画し既に五〇名の申込者が予定されていたので、これによつて一月金一万円の収入が得られることが確実であつた。ところが本件事故によつて右保育園の収入は半減し、その余の収入はいずれも絶無となつたので、原告素禅は本件事故により一月金三万六〇〇〇円、事故の日である昭和三一年一〇月五日から、昭和三四年九月五日(但し保育園の分は昭和三三年一〇月五日まで、書道教授の分は昭和三四年一月五日まで。)の間に合計金一〇五万八〇〇〇円の得べかりし利益を喪失した。

四、原告素禅は前記症状の恢復の見込も立たず、読書もできず愛好する尺八の吹奏も不能で、憂愁と苦脳の毎日を送つておるのにかゝわらず、被告は原告に対し誠意ある態度を示したことがない。よつて原告素禅が本件事故によつて蒙つた精神的苦痛に対する慰藉料は金三〇万円をもつて相当とする。

第三、(原告弥生の損害)

一、原告弥生は右事故により左顔面下の骨にひゞが入つたため劇痛を覚えると共にけいれんを生じたほか、眼底出血、前歯四本奥歯四本の損傷を生じたので、昭和三一年一〇月五日から同年一二月四日まで福島医大病院に入院して外科及び眼科の治療を受け、昭和三二年一月五日から同年三月二六日まで福島市早稲町の佐藤歯科医院に通院治療を受け、同月三一日から四月六日まで飯坂町天王寺温泉に、同年六月二九日、三〇日福島市郊外の高湯温泉に湯治のため滞在したが、右症状は全治せず、現在においても一日二、三回顔面にけいれんを生じ、呼吸圧迫感、吐気、めまい、歯痛を感じ、常に鍋をかぶつたような感じで神経衰弱状態となり家事の手伝もできない有様である。

二、原告弥生は前記天王寺温泉の滞在費金三五〇〇円、高湯温泉の滞在費金七〇〇円を出費した。

三、原告弥生は昭和四年三月三日前記岡野栄隆の二女として出生し、昭和一八年松川小学校高等科を卒業後、松川登記所に勤務し、昭和二七年三月福島高等編物学院を卒業して、右勤務をやめ、以来兄素禅の経営する天心保育園の保母助手をつとめる傍ら編物業に従事し、一月平均金二〇〇〇円の収入を得ていた。ところが本件事故により右の収入を失つたので、事故の日である昭和三一年一〇月五日から昭和三四年九月五日までの間金七万円の得べかりし利益を喪失した。

四、原告弥生は前記のような症状に加え、前記傷害により容貌に相当な悪影響を及ぼしたのであるから、原告弥生が本件事故によつて蒙つた精神的苦痛に対する慰藉料は金三〇万円をもつて相当とする。

第四、(原告志津の損害)

一、原告志津は本件事故により左腰椎横突起骨折を生じ、昭和三一年一〇月五日から昭和三二年一月二五日まで福島医大病院に入院治療を受け、入院中むし歯を生じたので同年一月一〇日から二三日まで前記佐藤歯科医院に通院治療を受け、同年三月三一日から四月六日まで飯坂町天王寺温泉に、同年六月二九日、三〇日福島市郊外高湯温泉に湯治のため滞在した。右医大病院退院後も原告志津は時々腰が痛み、かつ吐気、頭痛、めまい、呼吸圧迫感を感じ、日常の身の廻りの始末さえ人手を借りなければならない状態である。

二、原告志津は前記天王寺温泉の滞在費金三五〇〇円、高湯温泉の滞在費金七〇〇円を出費した。

三、原告志津は昭和六年九月一四日前記栄隆の三女として出生し、昭和二八年三月福島大学学芸学部を卒業し、本件事故当時松川町立水原小学校の教員をしていたものであるが、本件事故による欠勤のため昭和三二年二月一日から同年一二月三一日まで休職となり、本俸以外の給与の支払を受けることができなくなつたため、休職期間中金六万二三九四円の減収となり、かつ右休職のため昇給が停止したので昭和三三年四月から昭和三四年八月までの間金一万五八一〇円の減収を生じた。

四、原告志津は前記のような症状に加え、本件事故のため縁談が破談となつたのであるから、原告志津が本件事故によつて蒙つた精神的苦痛に対する慰藉料は金三〇万円をもつて相当とする。

第五、(結論)

よつて本件事故による損害賠償として、原告素禅は金一三七万一三一五円及びそのうち昭和三二年九月六日以後の喪失利益を除く金七〇万九三一五円に対する訴状送達の日の翌日である昭和三二年一〇月一二日から、右喪失利益金六六万二〇〇〇円に対する訴の変更申立書交付の日の後である昭和三四年九月六日からそれぞれ完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払、原告弥生は金三七万四二〇〇円及びそのうち喪失利益を除く金三〇万四二〇〇円に対する前記昭和三二年一〇月一二日から、喪失利益金七万円に対する前記昭和三四年九月六日からそれぞれ完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払、原告志津は金三八万二四〇四円及びそのうち喪失利益を除く金三〇万四二〇〇円に対する前記昭和三二年一〇月一二日から、喪失利益金七万八二〇四円に対する訴変更申立書交付の日の後である昭和三四年九月一日からそれぞれ完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

以上のように述べた上、証拠として、甲第一号証の一、二、第二ないし第五号証、第六号証の一、二、第七号証、第八ないし第一〇号証の各一、二、第一一ないし第一三号証、第一四号証の一ないし五、第一五、第一六号証を提出し、証人岡野ハツ、佐藤武夫、茂木松次(第一、二回)、佐藤清波、丸井琢次郎、斎藤金次郎の各証言、鑑定人斎藤富士雄、丸井琢次郎の各鑑定の結果及び原告三名各本人尋問の結果を援用し、乙第一号証の成立は認める、と述べた。

被告は「原告の請求を棄却する。」との判決を求め、請求原因に対する答弁として、請求原因第一の事実は認める。第二ないし第四の各一の事実は争う。原告素禅の傷害は脳震盪、左肩胛部挫傷、骨折なく二週間の安静加療を要するもの、原告弥生の傷害は脳震盪、左眼部打撲、胸部打撲、右下腿打撲、三週間の安静加療を要するもの、原告志津の傷害は脳挫傷、第三腰椎左横突起骨折、右肘部打撲、一ケ月間入院加療を要するものである。請求原因第二ないし第四の各二の事実は強いて争わない。第二ないし第四の各三及び四の事実は不知、但し原告等が本件事故により精神的苦痛を受けたことは認めるが、原告等主張の慰藉料の額は高額に過ぎる、と述べ、証拠として乙第一号証を提出し、証人鈴木信正の証言を援用し、甲第一号証の一、第九、第一〇号証の各一、二、第一六号証の成立は認めるが、その余の甲号各証の成立は不知、と述べた。

理由

一、請求原因第一の事実は当事者間に争がないから、以下原告等が本件事故によつて受けた傷害の部位、程度及びこれによつて蒙つた損害の有無、数額について逐次判断する。

二、(原告素禅の損害)

成立に争のない甲第一号証の一、原告素禅本人尋問の結果により真正に成立したものと認める同号証の二、証人岡野ハツ、茂木松次(第一回)、丸井琢次郎、鈴木信正の各証言、鑑定人丸井琢次郎の鑑定の結果及び原告素禅本人尋問の結果によれば次の事実を認めることができる。

原告素禅は本件バスの顛覆により頭部及び左肩胛部等に打撲を受けて一時気絶したが、間もなく気絶から醒めて車外へ脱出し、福島市大町の大原綜合病院に入院したところ、同病院の医師島田孝平は診察の結果骨折を認めなかつたので原告素禅の病名を脳震盪症兼左肩胛部挫傷、二週間安静加療を要する、と診断し、これに即した治療をなし、昭和三一年一〇月二六日全治したものとして退院させた。しかし原告素禅は右入院当初から左半身に劇痛を覚え、毎日臥床のやむなき状態で退院当時も右の症状が残つていたが、医師のすゝめでやむなく退院し、同年一一月一日まで信夫郡飯坂町の天王寺温泉に温治のため滞在した後自宅に帰つたが、右の痛みは去らず、歩行が不自由で頭痛、耳鳴り、めまいがし、夜も安眠できない状態が続いた。そこで同月一〇日診察を受けるため福島市早稲町の渡辺整形外科医院に行き、頭部挫傷、頸椎挫傷という診断を受けたところ、めまいと頭痛が激しくなつたため直ちに同病院に入院治療を受け、同年一二月二六日退院した。退院後症状は稍々好転し、昭和三二年四月頃から一日約三〇分庭いぢり程度の仕事がてきるようになつたが、なお頭痛、耳鳴りのため、その余の仕事は殆どすることができなかつたので、同年五月及び七月土湯温泉に湯治に赴いた。ところが同年七月原告素禅の恩師である石龍文堂が死亡したため、その葬儀に参列するため急遽仙台市に赴いたところ、症状が悪化し前同様左半身に劇痛を覚え、昭和三三年五月頃においてもなお(1) 左半身知覚異常、(2) 左側頭痛、(3) 第三頸椎の左側部に凝りがあり、(4) 左耳が痛み、(5) 睡眠は十分得られず、(6) 一日一時間以上の軽労働に堪えず、(7) 尺八を吹くことができず、(8) 時々めまいがし、(9) 読書ができない状態であり、昭和三四年一〇月五日に至るまで右(5) (6) (8) (9) の症状が緩和した外略々同様の状態が続いた。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。尤も証人丸井琢次郎の証言及び鑑定人斎藤富士雄及び丸井琢次郎の各鑑定の結果によれば、原告素禅が受傷後半年以後においてなお右のような症状を呈すべき身体の障碍の存在は科学的に証明することができないことが認められるけれども、後に認定するとおり原告素禅の右症状はいずれも神経衰弱様症状心気症に基くものであつて、現在の(精神)医学ではこれを科学的に証明することは殆ど不可能であるから、右事実は前認定を妨げるものではない。

そこで前記の症状と本件事故との因果関係について検討するに、証人丸井琢次郎の証言及び鑑定人丸井琢次郎の鑑定の結果によれば、通常人ならば原告素禅と同様の傷害を受け、一時は同様の症状を呈しても、医者から身体の障害はない旨告げられれば安心して間もなく回復してしまうところ、原告素禅は情意の面において何等かの障害のある精神病質者であつて、些細な原因によつても神経衰弱様症状心気症を呈しやすい素質を有していたので、本件事故による衝撃により神経衰弱様症状心気症を呈し、これにもとずき前認定のような症状を長期間呈するに至つたものであることが認められる。そうであるとすれば原告素禅が前認定のような長期間に亘る症状によつて蒙つた損害は本件事故によつて通常生ずべき損害の範囲を超え、特別の事情によつて生じた損害であるといわねばならないが、証人丸井琢次郎の証言によれば、原告素禅程度の精神病質者は精神科医を訪れる患者のうち最も多数を占めめ、全住民中に占める比率も必しも僅少ではない(但し正確な統計に基く数字は不明である。)ことが認められるところ、被告は乗合自動車による旅客の運送を業とする株式会社であつて、本件事故も被告の右業務に関連して発生したものであることは当事者間に争がないから、被告会社としてはその乗客のうちに原告素禅のような精神病質者があることを予想し又は予想すべきであつたといわねばならない。されば被告会社は原告素禅が前認定の症状によつて蒙つた損害の全部を賠償すべき義務のあることが明かである。

そこで進んで損害の額について判断するに、原告素禅が、本件事故によつて故障した時計の修理代金六〇〇円、本件事故によつて汚損したコート、ズボンの洗濯代金六〇〇円、前記認定の症状の治療のため、前記渡辺医院往復の自動車代金一〇〇〇円、天王寺温泉滞在費金五五〇〇円、出湯温泉滞在費金三八〇五円、薬品代金一八一〇円をそれぞれ支出し、合計金一万三三一五円の損害を蒙つたことは、被告の明かに争わないところであるからこれを自白したものとみなす。

証人斎藤金次郎、茂水松次(第二回)の証言により真正に成立したものと認める甲第一一号証、原告素禅本人尋問の結果により真正に成立したものと認める甲第一二、第一三号証、第一四号証の一ないし五、証人岡野ハツ、佐藤清波、茂水松次(第一、二回)、斎藤金次郎の各証言、鑑定人丸井琢次郎の鑑定の結果及び原告素禅及び弥生各本人尋問の結果(但し証人岡野ハツ、茂水松次(第一回)の各証言中後記信用しない部分を除く。)及び弁論の全趣旨を総合すれば、原告素禅は大正七年七月三日福島県信夫郡松川町盛林寺前住職岡野栄隆の長男として出生し、昭和一一年福島県立福島中学校を卒業後、福島地方裁判所書記を経て、満洲、海南島、仙台市等を転々として主として学校の教員をつとめていた者であるが、昭和三〇年九月頃から盛林寺に戻り、事実上の住職として(昭和三二年四月一五日正式に住職となつた。)父栄隆に代つて寺務を処理し、栄隆が昭和二九年頃から盛林寺の境内を使用してはじめた天心保育園の園長としてその経営を引継ぎ、傍ら天心書道会の名称で弟子約二〇名を集めて書道を教授し、福島市、飯坂町等に出張して尺八の個人教授を行い、本件事故当時托鉢によつて一月平均金四〇〇〇円、保育園の経営によつて一月金二万円(園児五〇名、一名当りの収益一月金四〇〇円。)、書道教授によつて一月金二〇〇〇円、尺八教授によつて一月金三〇〇〇円の収入を得ていたこと、本件事故によつて托鉢及び尺八の教授は昭和三四年一月五日まで不可能となり、その間の収入金二五万二〇〇〇円を得ることができず、書道教授は昭和三四年一月五日まで不可能となり、その間の収入金五万八〇〇〇円を得ることができなかつたこと、保育園の経営は本件事故後弟宗光が代つてこれに当つたので閉鎖するには至らなかつたが、原告素禅等の受傷のため昭和三三年一〇月五日までの間園児が従前の半数以下に減少し、その間の収益も半減し、このため金四八万円の減収となつたことが認められる。右認定に反する証人岡野ハツ、茂水松次(第一回)の各証言は前記名証拠に照らし信用せず、乙第一号証は右認定を左右するに足りない。尤も証人茂木松次(第一回)鈴木信正の各証言及び成立に争のない乙第一号証によれば、右天心保育園の経営は宗教法人たる盛林寺の事業として行われていたものであることがうかがわれるが、前記甲第一一号証、証人斎藤金次郎、茂水松次(第二回)の各証言、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、右盛林寺から園長たる原告素禅に対し一定の俸給を支払つていたわけではなく、保育園経営によつて生ずる収益は、右盛林寺責任役員全員の同意により、原告素禅及びその家族の生活費に充てるため、全部同原告の収入とすることが承認されていたものと認めるのが相当である。原告素禅は右のほか本件事故当時尺八の演奏会出演により一月平均金二〇〇〇円の収入を得ており、当時計画中の尺八の通信教授により一月金一万円の収入が得られることが確実であつたと主張し、同原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認める甲第七号証、第八、第九号証の各一、二、証人佐藤清波、斎藤金次郎、茂水松次(第一、二回)の各証言によれば、原告素禅は尺八に造詣が深く、本件事故前屡々尺八の演奏会に出演して謝礼を受け、本件事故当時尺八の通信教授の計画を発表し約二〇名の申込を受けていたことが認められるが、右主張に添う尺八出演による平均収入金額、及び通信教授による収入予定金額に関する同原告本人の供述はにわかに信用できず、他に右金額を認めるに足りる証拠はない。以上のとおりであるから原告素禅は本件事故によつて前記減収金額の合計金七九万円の得べかりし利益を喪失したものというべきである。

原告素禅が本件事故により甚大な精神的苦痛を蒙つたことは明かであるところ、右精神的苦痛は前認定の症状その他諸般の事情に照らし金二〇万円をもつて慰藉されるべきものと認めるのが相当である。よつて被告は原告素禅に対し損害賠償として金一〇〇万三三一五円及びそのうち昭和三三年九月六日以後の喪失利益を除く金六八万四三一五円に対する本件事故の日の後である昭和三二年一〇月一二日から、右喪失利益金三一万九〇〇〇円に対する昭和三四年九月六日からそれぞれ民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払う義務のあることは明かであるる。

三、(原告弥生の損害)

原告弥生本人尋問の結果により真正に成立したものと認める甲第二号証、証人岡野ハツ、茂木松次(第一回)、佐藤武夫、鈴本信正の各証言、鑑定人丸井琢次郎の鑑定の結果、原告弥生本人尋問の結果によれば次の事実が認められる。

原告弥生は本件事故により脳震盪、左眼部挫傷、左下腿部挫傷及び眼底出血の傷害を受けたほか、上顎前歯二本を折り前歯二本、奥歯四本に損傷を生じたので、昭和三一年一〇月五日から同年一二月四日まで福島県立医科大学附属病院に入院治療を受け、昭和三二年一月五日から同年三月二六日まで福島市早稲町の佐藤歯科医院に通院治療を受け、昭和三二年三月三一日から四月六日まで飯坂町天王寺温泉に、同年六月二九、三〇日福島市郊外の高湯温泉に湯治のため滞在したが、全治するに至らず、昭和三三年七月頃まで左下顎第一小臼歯部の急性化膿性歯槽膿瘍による三叉神経痛を感じ(1) 思考力なく、(2) 常に鍋をかぶつたような感じで、(3) 呼吸圧迫感、吐気があり、(4) めまいがして、(5) 一時間以上の労働ができず、自分の身の廻りの始末さえ十分にできない状態がつゞいたほか、右傷害によつて左眼部が拡大し容貌に悪影響を及ぼした。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。尤も鑑定人斎藤富士雄及び丸井琢次郎の鑑定の結果によれば、原告弥生が受傷後半年以後においてもなお前記(1) ないし(5) のような症状を呈すべき身体の障碍の存在は科学的に証明することができないことが認められるけれども、後に認定するとおり原告弥生の右症状はいずれも神経衰弱様症状、心気症にもとずくものであつて、現在の(精神)医学ではこれを科学的に証明することは殆ど不可能であるから、右事実は前認定を妨げるものではない。

証人丸井琢次郎の証言及び鑑定人丸井琢次郎の鑑定の結果によれば原告弥生は精神病質者のうち最も軽度な所謂神経質者であつて、本件事故による衝撃により神経衰弱様症状、心気症を呈し、これにもとずき前記のような症状を長期間呈するに至つたものであることが認められる。そうであるとすれば原告弥生が右症状によつて蒙つた損害は本件事故によつて通常生ずべき損害の範囲を超えるといわねばならないが、原告素禅につき前に述べたところと同一の理由により、被告は右損害の全部を賠償すべき義務があるといわねばならない。

そこで進んで損害の額について判断するに、原告弥生が前記天王寺温泉滞在費として金三五〇〇円、高湯温泉滞在費として金七〇〇円を支出したことは、被告の明かに争わないところであるからこれを自白したものとみなす。証人岡野ハツの証言及び原告素禅及び弥生各本人尋問の結果によれば、原告弥生は昭和四年三月三日前記盛林寺前住職岡野栄隆の二女として出生し、昭和一八年松川小学校高等科を卒業し、一時福島地方裁判所及び福島地方法務局に勤務した後、昭和二八年福島高等編物学院を卒業し、昭和三〇年から兄である原告素禅の経営する天心保育園の保母(但し無給)をつとめる傍ら、近隣から編物の内職を引受けたり、右盛林寺で洋裁の教授をしている姉五雄の手伝をしたりしてその都度若干の謝礼を受けていたことが認められる。原告弥生は右編物の内職によつて本件事故当時一月平均金二〇〇〇円の収入を得ていたと主張するが、右主張に添う同原告及び原告素禅本人の各供述はにわかに信用できず、他に右平均収入金額を認めるに足りる証拠はない。而して原告弥生が本件事故により甚大な精神的苦痛を蒙つたことは明かであるところ、前認定の症状その他諸般の事情を斟酌すれば、右精神的苦痛は金三〇万円をもつて慰藉されるべきものと認めるのが相当である。よつて被告は原告弥生に対し金三〇万四二〇〇円及びこれに対する本件事故の後である昭和三二年一〇月一二日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払う義務のあることは明かである。

四、(原告志津の損害)

原告志津本人尋問の結果によつて真正に成立したものと認める甲第三号証、証人岡野ハツ、佐藤武夫、茂水松次(第一回)鈴木信正の各証言、鑑定人斎藤富士雄の鑑定の結果及び原告志津本人尋問の結果によれば、次の事実を認めることができる。原告志津は本件事故により左腰椎横突起骨折の傷害を受け、昭和三一年一〇月五日から昭和三二年一月二五日まで福島県立医科大学附属病院に入院治療を受け、その間二月間ギブスベツドに臥床し、退院当時骨折部は癒合したがなお上半身の前屈運動に際し疼痛を覚えたので、その後自宅において昭和三二年末頃までコルセツト装着マツサージ療法を施行し、その間同年三月三一日から四月六日まで飯坂町天王寺温泉に、六月二九、三〇日福島市郊外の高湯温泉に湯治のため滞在した。右のほか前記入院中右傷害の回復に伴うカルシウムの不足により、むし歯が生じたので昭和三二年一月一〇日から同月二三日まで右病院から前記佐藤歯科医院に通つて治療を受け、昭和三二年六月頃まで頭痛、吐気、呼吸圧迫感、めまい等を感じた。以上の事実が認められ右認定に反する証拠はない。

そこで右傷害によつて原告志津が蒙つた損害の額について判断するに、同原告が前記天王寺温泉滞在費として金三五〇〇円、高湯温泉滞在費として金七〇〇円を支出し同額の損害を蒙つたことは、被告の明かに争わないところであるからこれを自白したものとみなす。成立に争のない甲第一六号証及び原告志津本人尋問の結果によれば、原告志津は昭和六年九月一四日前記岡野栄隆の三女として出生し昭和二八年福島大学学芸部を卒業して松川町立水原小学校に教員として勤務していた者であるところ、前認定の傷害により昭和三二年二月から一二月まで休職となりその間本俸の一部と諸手当合計金六万二三九四円の支給を受けず、昭和三三年一月復職したが、右休職のため同年四月に予定されていた定期昇給が停止されたので、同月から昭和三四年八月までの間昇給によつて支給されるべき一月金九三〇円合計金一万五八一〇円の給与の支給を受けず、本件事故により金七万八二〇四円の得べかりし利益を喪失した。而して原告志津が本件事故により甚大な精神的苦痛を蒙つたことは明かであるところ、右精神的苦痛は前認定の症状その他諸般の事情に照らし金二〇万円をもつて慰藉されるべきものと認めるのが相当である。よつて被告は同原告に対し金二八万二四〇四円及びそのうち右喪失利益を除く金一〇万四二〇〇円に対する本件事故後である昭和三二年一〇月一日から、右喪失利益金七万八二〇四円に対する昭和三四年九月一日からそれぞれ完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払う義務のあることは明かである。

よつて原告等の各請求はそれぞれ右の限度において正当であるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 滝川叡一)

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